胃がん(残胃3分の1)と共に生きる

あの日、35歳。『まだ生きていたい』と願った私。

当時35歳。
初めて受けた人間ドックでの胃カメラ。

自分は健康体だと、
ずっと信じていました。

すべての検査が終わった後、
先生の診察室へ。

先生は、
神妙なお面持ちでした。

そして告げられた言葉。

「胃がんの可能性があります」

「……?」

一瞬、何を言われているのか
理解できませんでした。

次の瞬間、
涙が溢れました。

「え?
どういうことですか?」

看護師さんがティッシュ箱を持ってきて、
背中をさすってくださいました。

号泣しながら、
どうにか先生のお話を聞いていたものの、

頭の中は真っ白で、
当時どのような説明を受けたのか、
正直、あまり覚えていません。

ただ、

「まだ小さな子どもたちが……いるんです」

そう言ったことだけは
今でも覚えています。

死にたくない。

子どもたちの成長を
見届けたい。

まだまだこの子たちに
教えたいことが山ほどある。

そして、

難病の息子のサポートは、
私がいないと大変なことになる。

この子たちを残して、
私はいなくなるわけにはいかない。

どうしよう。

もし私がこの世を去ることになったら、

成人するまでの子どもたちへ
毎年の誕生日に読んでもらう手紙を
残しておこうか。

そんなことまで考えました。

けれど、
それどころではありませんでした。

子育てはノンストップ。

そして、
検査の日々。

ゆっくり泣いている暇さえ
ありませんでした。

それでも、

スーパーで買い物をしている時も、
病院で検査を受けている時も、

突然、涙が溢れてきて、
止められなくなることが何度もありました。

「まだ生きていたい」

神社へ行き、
神頼みもしました。

「子どもたちが成人する姿を見たいので、
どうか、どうか、生きさせてください」

そう願いました。

唯一、
思い切り泣くことができたのは
お風呂場でした。

シャワーの音が、
泣き声をかき消してくれるから。

子どもたちの前では、
弱い自分を見せたくありませんでした。

夜、眠る時にも
毎晩のように涙が止まりませんでした。

人間は、
胃の3分の2を失ったら
どうなるのだろう。

胃を切除することが、
とにかく怖くてたまりませんでした。

逃れることのできない現実と、
向き合うしかありませんでした。

幼稚園へ病気のことを伝えると、
先生方も大変驚かれたそうです。

当時は、
女優の小林麻央さんのがん闘病が
多くの方に知られていた時期でもありました。

がんは、
誰もが必ず治る病気ではない。

それは分かっていました。

分かっていたけれど……。

それでも私は、

できるだけ良い方向へ考えよう。

そう思うようにしていました。

私は胃がんと診断され、胃の3分の2を切除する手術を受けました。いまは、3分の1になった胃とともに暮らしています。

この文章は、かつての私と同じように、手術を前にして眠れない夜を過ごしている方に向けて書いています。

毎晩、泣いていました

手術が決まってから、前向きな気持ちでいられたわけではありません。

手術が怖くて、毎晩泣きながら、オペの日までを過ごしました。

少しでも安心できる情報がほしくて、胃がんを経験された方々の体験談を、必死に読み漁っていました。

熊本の友人たちと、ランチの旅

当時、私たち家族は熊本に住んでいました。

不安と怖さでいっぱいだった私を、熊本の友人たちが「ランチの旅」に連れ出してくれました。

病気のことを知って、一緒に泣いてくれた友人たちもいました。

泣いてくれた友人たち。
みんな本当に本当にありがとう。

病気がわかってからの毎日は、怖いことばかりではありませんでした。みんなで笑いながらごはんを食べた時間は、いまも確かに、私の中に残っています。

「必ず戻ってきますから」

子どもが通っていた幼稚園の先生方も、私の病気を知って、とても心配してくださいました。

私は先生方に、こう伝えました。

「卒園式にはリハビリを必ず間に合わせて、必ず戻ってきますから。」

この約束が、手術のあとの私の大きな目標になりました。

手術のあとの痛みと、リハビリ

手術が終われば、すぐに元気になれる。そんなふうにはいきませんでした。

術後は、激しい痛みがありました。起き上がること、体の向きを変えること、立って歩くこと。それまで何も考えずにしていた一つひとつの動きが、とても大変でした。

それでもリハビリを続けられたのは、「子どもの卒園式に行きたい」という気持ちと、先生方に「必ず戻ってきます」と約束したことがあったからです。今日はここまで、明日はもう少し先まで。そうやって、少しずつ体を動かしていきました。

親子給食の日

術後、幼稚園の親子給食の参観に行くことができました。

園長先生は、私を見つけるなり、涙を流してくださいました。

ただ、そのころの私は、まだ普通の給食を食べることができませんでした。そこで、母と一緒に参加して、私の代わりに母が給食を食べてくれました。

まだ食べることはできなかったけれど、子どものそばへ戻ることができた。私にとっては、大きな一歩でした。

涙、涙の卒園式

そして3月。目標にしていた卒園式を迎えることができました。

涙、涙の卒園式でした。

「必ず戻ってきます」という先生方との約束を、果たすことができました。

術後の一年は、吐き気との闘いでした

退院して、卒園式にも出られた。けれど、それで体がすっかり元に戻ったわけではありませんでした。

手術のあとの約1年間は、吐き気との闘いでした。回復には、思っていたよりもずっと時間がかかりました。

福岡へ。熊本から駆けつけてくださった先生方

その後、会社の辞令で、家族で福岡へ転勤することになりました。子どもも、幼稚園を転園しました。

福岡の幼稚園でお遊戯会があったとき、熊本の幼稚園の先生方が、子どもの様子を心配して、熊本から福岡まで駆けつけてくださいました。

いまも忘れることのできない出来事です。

このご恩は忘れない。

授業参観の椅子

福岡に来てから、長男が小学1年生になりました。

ある授業参観の日のことです。授業を見ている途中で、私は急に苦しくなり、立っていることができなくなりました。

胃を切除したあとに起こることのある「ダンピング症候群」の症状が、私にも現れたのです。

その日から、先生が私の体を気遣ってくださり、一年間、授業参観のたびに椅子を用意してくださいました。

退院して、ふだんの生活に戻ってからも、外からは分かりにくい体の変化と付き合いながらの子育てでした。先生は、そんな私に、そっと寄り添ってくださいました。

この場を借りて、心より感謝申し上げます。

そして、いま

いまは、当時と比べてずいぶん落ち着いています。

大好きなダンスや筋トレを、趣味として楽しめるほど元気に過ごしています。手術の前、毎晩泣いていた私からすれば、想像もできなかった毎日です。

もちろん、手術の前とまったく同じ体に戻ったわけではありません。3分の1になった胃とは、これからも付き合っていきます。

それでも、動けることは当たり前ではないと知ったからこそ、体を動かせる時間そのものが、いまはとても嬉しいのです。

これから手術を受ける方へ

私も手術の前、体験談を必死に読み漁っていました。

もちろん、すべてが明るい結果だったわけではありません。同じ病気と向き合った仲間の中には、哀しい結果になった人もいます。

だから私は、「絶対に大丈夫です」とは書けません。病気の状態も、治療も、術後の経過も、一人ひとり違うからです。

ただ、毎晩泣くほど手術が怖かった私が、いまはダンスや筋トレを楽しみながら日常を送っている。そういう一つの体験があることは、お伝えしたいと思いました。

ただ、私のような人もいるのだと、
知っていただけたら幸いです。

そして、あのとき一緒にいてくれた人たちへ。ランチの旅に連れ出してくれた熊本の友人たち、一緒に泣いてくれた友人たち、幼稚園の先生方と園長先生、給食を代わりに食べてくれた母、熊本から福岡まで来てくださった先生方、一年間椅子を用意してくださった小学校の先生。みなさんがいてくださったから、いまの私がいます。本当にありがとうございました。

これから手術を迎える方へ、経験者の一人として、心からエールを送らせてください。

これは私自身の体験であり、症状、治療内容、術後の経過には個人差があります。

治療や体調について気になることは、主治医など医療の専門職にご相談ください。